あさが来た 五代ロスをちょっと解消できるかも?五代さんの銅像めぐりが話題に!
「五代友厚」を演じるディーンフジオカ
とうとう、この日がやってきました。
朝ドラ 「あさが来た」 五代さんが亡くなってしまいましたね。
あさイチで有働アナが涙したのもうなずける。仕事で見れなかったので、帰宅後 そっこう見たんですが、泣けた…
でも 本当にこの 五代友厚さんという人物は すごく現代の大阪の礎を築いた人物だったんですね。
銅像が あちこちに立っているのが何よりの証拠。
今日の五代さんのセリフを聞いていて ふと
今の 『大阪』の人たちに 『もっとやれる!もっと大坂ってすごい街なんやぞ!』と言っているような気にさえなってしまいました。(製作がNHK大阪放送局だからね)
そのせいか、五代さんファンのみならず、大阪市民の皆さんのあいだでも五代さんの銅像めぐりがちょっと話題に。
本物の「五代友厚」さんてどういう人だったんだろう?とちょっと気になったので調べてみました。
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五代友厚
835(天保6)年~1885(明治18)年
鹿児島市城ヶ谷(現長田町)で生まれる。
8歳の頃、藩校の造子館に入り、学問と武芸に励む。12歳の時、藩主島津斉彬から外国の地図を写す仕事を任せられた友厚の父は、この仕事を友厚にさせた。その時、友厚は2枚の世界地図を作り、1枚は斉彬に差し出し、1枚は自分の部屋の壁に掲げた。また、直径2尺余りの地球儀を作成したというエピソードが残っている。
1862(文久2)年、藩の命令で中国の上海に渡り、ドイツ汽船「天祐丸」を買って帰り、その船長となる。
1863(文久3)年、薩英戦争が始まり、寺島宗則とともに捕虜となり、1年間藩に戻ることは許されなかった。
1868(明治元)年に新政府の役人になったが、1869(明治2)年7月、実業家になることを決めて役人をやめる。
1878(明治11)年、大阪に最初の商法会議所や株式取引所、大阪商業高校(現在の大阪市立大学)を建て、大阪の商業の発展に力を注ぐなど、自らが起こしたもの、設立に関わった事業は数多い。
1885(明治18)年9月に50歳(満)で亡くなる。墓は大阪市阿倍市にある。引用:鹿児島市観光サイトより
地元鹿児島にもなんと銅像がたっておりました。
〒892-0822鹿児島市泉町
大坂市内には3か所 五代さんの銅像が立っています
大坂証券取引所前 住所:大阪市中央区北浜1-8-16
大坂商工会議所前 住所:大阪市中央区本町橋2-8
光世証券前 住所:大阪市中央区北浜二丁目1番10号
どの銅像も かなりシュッとした感じのイケメンですよね。
場所はそんなに離れていないので、歩いてでも見て回れそうですね。
大坂に行くことがあったら、ちょっと立ち寄ってみては?
大阪市中央区北浜周辺
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